昭和46年大宮の日赤で母京子から産み落とされ今に至ります。

自由奔放な父親は、海外旅行が好きで年に何回も一人旅、家が好きな母親は留守番を自ら引き受け赤毛のアンなんぞ観ながら珈琲を飲んで息子と2人の時間を楽しんでおりました。

基本母親との時間が長かったので、父親とふたりでなにかをするってコトにあまり慣れていませんでした。

記憶に残ってるのは、野球好きな父親に初めて買ってもらったのはキャッチャーミット。

会社の野球チームでピッチャーだった父親の球を受けるために与えられただけだった気がします。

まぁ今では嬉しかった記憶にすり替わっております。

ナイター中継の時はアニメは観れず、ごはんのオカズは親父好み。

高校の時は学校行かずに遊んでるのが見つかりその場で友達もろとも引き摺り回され、

「学費が勿体ねぇから辞めてくれ、他に当てるから今すぐ辞めろ!」

ってアタマを踏んづけられました。

感謝と言えばクルマの運転を早めにおしえてくれたコト。

助手席側から右手でシフトをいれさせられ、

「2から3!エンブレ2!」

今思えばなんの訓練だったのか?

5年生には、ちゃんと近所を回れるぐらいの技術はついておりました。

令和の反抗期もなく、親を下の名前で呼んじゃったりする時代とは明らかにちがう昭和そのものでありました。

さて

一応自分もオトコふたりの父親だったりしますので、多少は父親とはなんぞや。

なんて考えたりいたします。

店を継いでほしいとか、名前を残して欲しい酒を酌み交わしたいなんて思いは一切なく

派手に楽しく生きてくれればそれでいいと思っております。

正当化したトコで離婚して父親としての義務をガッツリ果たしてないので、基本感謝は母親にしてほしいし、

生き様というかなんというかアイツクソだけどやることはやってんな。

ぐらいになれば万々歳ってトコです。

ひとつ気になるとすれば遺産問題。

お金💰なんて残してあげられないけど、オレにはスーパーナックル、パン、UL、トラ、超カッコいいC10があります。

逆言うとそれしかございません。

で考えたのは、身体が思うように動かなくなったその時、ユウキかキイチに来てもらい車椅子を押してもらいながら、

ユウキは独立してるだろうから、その日は休んでもらい、

オレのスーパーマシーン達を土手にはじから並べ、息子を2人呼びます。

ふたりに欲しいモノを指差してもらい、ハジから順番に「ドカーッン!」

爆破してやろうと思います。

チョッパーなんて、親から貰うモンじゃねぇ。

テメェで苦労して買え!

コレがパパからの最後のメッセージになります。

そんな感じで、息子ふたりをあいしてますが、

何か残すのではなく、カッコいい生き方をちゃんと見せれるように頑張りたいと思います。

ガッツリ昭和で行きます

こんな父親で🙇ごめんなさい。

 

Morry

 

 

とにかく昭和な感じ。

 

 

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