キタニイケ。

今日はボクの破天荒な父のハナシ。

生森 敏三郎

ヒトに名前の漢字を説明する時は、

「敏感の敏に北島三郎の三郎で敏三郎」

と必ず説明します。

とにかく暇があれば家族を家に残し海外に遊びに行ってしまうヒトでした。

基本的にはthe父親という感じではなかった気がします。

とにかくヘビーな悪戯が絶えず、借家なのに業者呼んで掘りごたつを設置、なんにも知らない母親が滑り落ちる。

なんてコトは日常茶飯事。

小学校の時、校庭で壁に軟球を投げて遊んでた時、投げたボールが女の子にヒット。

正直悪意はなかったけど、担任と相手の親が家に来て、やんややんやブチ切れてる時も、急に席を立ち近所の文房具屋でゴムボールを買ってきて、

「今度はコレぶつけてやれっ!」

って黄色いボールをオレに投げてきました。

この時ばかりは、

「今それやったら角がたつんじゃないの?」

子供ながらにそう思いました。

お陰様で次の日から暫くクラスの女の子にはフルシカトされました。

当時は、なかなかやり手の営業マンだったらしく、ある程度のトコまで上り詰めたのに、上司にガムの指パッチンをやって飛ばされる。

正月はテレビ自体を横にしてガチ寝正月みたいな。

銀座を歩く時は上をみるな、田舎もんだとおもわれる。

カーブは踏め、はやくカーブがおわる。

どれを取ってもロクなもんじゃありませんが

唯一教わったモノと言えば車の運転。

助手席側から、シフトを入れさせられたりハンクラを早めに仕込まれていたので、小学校真ん中辺りには普通に運転できるように仕上げていただきました。

ほかにも記憶に残ってるモノは沢山ございますが身内の恥を晒すことになりそうなのでこの辺で。

そんなオヤジから言われた言葉で未だに役に立ってる言葉がございます。

「迷ったらキタニイケ」

おそらく関東の人しか分からないと思いますが、首都高速一瞬でも迷おうもんなら何処に連れて行かれるかわかりません。

帰り道で迷ってるようじゃ女にモテない。

北池袋を目指せばなんとか家に帰れる。

で、キタニイケ。

今は携帯で地図見ながら走るのが当たり前になっていますが、当時はナビもまだなく、スーパーマップルを積んで走っておりました。

これに関してはすごく感謝しております。

本日バイクの引き取りで港まで来る道中で

キタニイケを思い出したので書いてみました。

ちなみにそんな親父は今も健在です。

あっ最後に思い出した。

成人式の2次会に行く時に一万円差し出し、

「暴れてこいっ!」

って言われましたが、一万円ではさほど暴れる事はできませんでした。

MoRRy

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